青汁の最も効果的な飲み方

 

毎日青汁を飲んでいるとそれなりに美味しいのですが、もっと色々な飲み方がるのではないのかと思ってしますます。

毎朝の味噌汁が入れる具によって味がさまざまに変化するように、青汁にもそれが出来るんじゃないかと思いました。

 

まず身近にある味噌汁に入れて見ました。

ダメでした。

味噌汁の味が微妙に変わりますが、決して美味くはありません。次はご飯そのものにかけて見ました。

 

これも失敗。振りかけはどうしても塩気が必要です。

さらに納豆に混ぜて見ました。これも大失敗。

煮物に入れたり、サラダに混ぜたり色々やって見ましたが結局すべてだめ。ミスマッチです。

 

知人と喫茶店で話している時、相手が取ったオレンジジュースが妙に気になりました。

まさか相手のジュースに入れるわけにはいかないので、自分もオレンジジュースを取って青汁を入れて見ました。

 

一口飲んで、これが大成功なことに気づきました。

酸味と甘みがあってうまいんです。

そうか、青汁は果汁系に合うんだとわかりました。

家へ戻ってりんご、グレープフレーツと片端から試しました。全部合格!そうか、これがあったんた。

 

専門書には、オリゴ糖や乳酸菌、ビダミンCにも合うと書かれていました。

納豆と青汁の組み合わせはビタミン、ミネラルが補給されるとありましたが、味がイマイチで私には合いませんでした。

 

そんなわけで、現在は青汁を水で溶いて飲むということはほとんどなくなりました。

やはりオレンジジュースへ入れることが多いですね。

私はここへレモン汁を一滴加えると完璧です。

 

次回で書きますが、青汁を加熱するのは実はタブーなのです。

ご飯へかけたり味噌汁へ入れるのはやめましょう。

決して毒にはなりませんが、青汁の効果がなくなってしまいます。せっかくの青汁もったいないですよね。

 

前回書きました青汁を習慣化するのは、いとも簡単な方法で解決しました。

いつも上着のポケットに、青汁を一袋入れておくことです。

別に何袋でも構いませんが、要するにいつでもどこでも青汁が飲めるようにしておくことです。

 

これはあくまで野菜を一日350グラム以上取るのが目的ですから、神経質にならず気がついたら取れば良いのです。

他の人は知りませんが、私は青汁の味そのものははそれほど好きではありませんから、飲むジュースを使い分けバリエーションで楽しんでいます。

一日野菜を350グラム(厚生労働省推奨)。あなたはそれを毎日取れますか。私には無理です。でも青汁なら可能でした。

体に野菜が不可欠なことは知ってました。でも私の生活は、時には一日も野菜を取らないことが多かった。野菜をとる必要性を感じなかったんです。ちっとも美味しくないし。

 

馬みたいに、ひたすら野菜を噛んでいる自分が嫌になります。しかし野菜を取らないと、ビタミンやミネラルが不足して病気のリスクが高くなるらしいことを知りました。

便秘にもなるし。男でも便秘で苦労している人が多いんです。

 

そこで一念発起し、野菜を大量にとることにしましたが、それが大失敗!

ある日曜日、スーパーで体に効きそうな野菜を手当たり次第に買い込んできて、サラダを作ることにしました。

 

週に一回くらい、野菜の日にしないとまずいと思ったんです。

なんせ料理なんて知りませんから、レタスやトマト、ピーマン、人参をぶつ切りしてボールに入れ、サラダドレッシングをかけました。

 

サラダドレッシングだけは買ってくるのは忘れなかった。それも吟味して。選ぶ根拠なんて全然ないんです。

テレビのコマーシャルで見たことのあるものにしました。

ボールいっぱいのサラダってかなりの量があるんです。

 

350グラムを優にオーバーして、500以上近くあったんじゃないかな。

黙々と食べ始めて、すぐ人参を入れたことが失敗だったことに気づきました。生の人参など硬くて食えたもんじゃない。

 

とにかくドレッシングの力借りて、全部平らげました。

腹がいつぱいで、とても食事する気になれない。

まずいことには、それ以来ますます野菜が嫌いになったことです。

 

人参なんて見るのも嫌です。

しばらく、まったく野菜を口にしませんでした。

あのサラダ作りが逆効果になったんです。

でも、なんとかして野菜を取らなきゃってことだけは、いつも頭にありました。

 

どうしたらいいのか。

第一毎日350グラムもの野菜を買っていたんでは、経済的にも大変です。

他の人はどうしてるんだろう。

それが私の大疑問でした。

 

レストランでステーキを頼んでも、申し訳程度にサラダがついてきます。でも、とても350グラムには遠い量です。

野菜、野菜、野菜・・・!

私の最大のテーマは野菜でした。

ある日、テレビで青汁のコマーシャルを見ました。

 

青汁? なんだそりゃ!

私はUFOでも見るように、青い液体を見つめました。

でも、紹介している女性は、これだけで必要な野菜は十分取れていると言ってます。

 

まさか!

あでもれは、なんて野菜の液体なんだろう。

私は半信半疑でテレビを見つめました。

 

私はすぐに行動を起こしました。

行動を起こすのだけは早いんです。

あの青汁の正体を見極めようと思いました。

 

調べた結果、青汁の成分だけはわかりました。

大麦若葉

明日葉

ケール

ユーグレナ

クマザサ

桑葉

長命草

などなどです。

 

メーカーによって異なりますが、青汁はこれらの成分から出来てるようです。

でも、聞いたことのないものばかりです。

 

まず、主たる成分の大麦若葉がわからない。

そんな名の野菜など見たことも食べたこともない。

今度は大麦若葉を調べまた。

 

大麦若葉の主要素はビタミン、ミネラル、抗酸化フラポノイド、クロロフィル

等々らしいです。

 

大麦はビールや麦茶に使われ身近なものでした。

その栄養素の高い若葉を使っているわけです。

これで青汁と大麦若葉の成分は了解です。

どの青汁も主成分は大麦若葉のようですから、後の成分を調べるのは省略しました。

 

で次はどれくらいの量をとったら野菜350グラムと同じになるのか、問題はそこです。

一日に丼二杯飲め!なんて問題外ですから。

 

それも調べました。

青汁は小袋に粉末で分けられていますが、小袋一つで栄養素が野菜100グラムに相当するようです。

すると、小袋三個半で野菜350グラム

 

うん、これならいける!

一日に青汁の小袋三個半を飲めば、必要な野菜を確保出来るんだ。

メーカーによって異いますが、平均して小袋一個の値段は六、七十円から百円程度。

 

ここまでわかったら、私は味は正直言ってどうでもよかった。

最悪な味でも、鼻をつまんでも飲んじまう。

ところがところが、味も後を引く絶妙なものだとわかりました。

 

こうなったら、青汁を飲まない理由はありません。

あとは数ある中からどのメーカーにするか、です。

こういう場合、私はもっとも売れているものにすることにします。青汁初心者ですから、入門としては無難なのです。

 

凝った青汁にするのは次の段階です。

こうして私と青汁との付き合いが始まりました。

恐らく一生の付き合いになるでしょう。

 

問題は毎日三回忘れずに必ず飲むか、です。

いつもポケットに青汁の小袋を入れておくとか、絶対に習慣化する私のシステムを考えるつもりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

AmazonのDVDであなただけの名画ライブラリーを作ろう

面白い映画、心に残る感動作を観たいのに、アカデミー賞など話題作、雑誌の映画評論、人の噂、映画会社の宣伝ほどあてにならないものはありません。

アカデミー賞はさすがに粒ぞろいの作品が多いですが、中には折り紙つきの話題作でも、どこが!と思うものも少なくありません。

自分だけの名作を見たかったら、直接映画館へ行くのはもちろんItuneやwowowGYAOど有料無料を含めて気になった映画観まくることです。

 

その中でやはりアカデミー賞を取るだけのことはある!とか、まったく地味な(マイナー)な作品なのに忘れられないものがあります。

実はあなたが見つけたそれが、あなたの名作なのです。

私は前者では「セッション」「ボヘミアン・ラプソディ」後者で「愛を弾く女」「モーガン」をナンバーワンに挙げます。

両方ともPCで無料で観た作品です・

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猫に教わった100のこと(1)猫は甘えさせて育てましょう

(2)猫は甘えさせて育てます。

犬は甘えさせて育てるとバカになります。どうしようもない手のつけられない犬になってしまいます。

 

しかし、猫は可愛がれば可愛がるほど賢くなる。

これは本当です。猫も野放しだと気性の荒い、すぐ人を噛んだり引っ掻いたりする問題猫になります。だから、毎日必ず撫でてやりましょう。猫のゴロゴロを聞くのを習慣にしましょう。ゴロゴロは母親を思い出しているのです。

 

アメリカやヨーロッパでは生後最低六ヶ月は、親から離して売買してはならないと言う厳しい法律があるそうです。親猫は人間との付き合い方、猫同士の間の取り方、危険な動物とそうでないものの区別を子猫に教えます。

 

それに何より子猫には母親の愛情そのものが不可欠なのです。これは人間と同じですが、その愛の深さは人間以上です。にも関わらず親離れ、子離れの見事さは人間がお手本にしたいくらいです。人間は二十歳過ぎた息子の犯罪の尻拭いを親がし、世間がそれを糾弾する。本当に猫に恥ずかしいですよね。

 

猫の一生は人間よりずっと短い。飼い始めて、あっという間に別れの時がやってきます。だからせめて、せめて一緒にいる間は思い切り可愛がるのです。やり過ぎくらいがちょうどいい。短い一生を過剰に可愛がっても、決して心残りが少なくはなりませんが。

 

でも、できる限りのことをしてやった(自己満足ですが)ことで後悔はしない。それしか死にゆく猫にしてやれることがないのが辛いのです。せめて生まれて来てよかった、この人に飼われてよかった、と最後の瞬間に思わせてやりたい。

 

私はこれまで飼って来たどの猫にも、「ウミちゃん大好き!」と耳元で口癖のようにささやいてやりました。猫には確実にそれがわかります。私がいないと、恋人を探すように鳴いて家中を探します。

帰宅すると「どこ、どこへ行ってたの!」と文句を言うように喉をならします。

 

そのあとは寝転んだ私の胸の上に寝て、ゴロゴロをしばらく続けます。私はすぐ目の前の猫を見ながら、いずれこいつとも別れの時が来るのだと思います。愛猫八匹の死を経験すると、そう考える習慣がついてしまうのです。本当に耐えられない瞬間を何度も経験しております。人間との死も猫の死も、私は愛するものの死と言うことで同次元で考えています。両親の死には涙を見せなかった私が、猫たちの死にはどうしても涙をこらえらえることが出来ない。

 

今いる猫にできる限りの、本当に最大限の愛情を注いでやりましょう。私の飼っていた猫たちは、みんなそうした体験をして死んでいきました。一匹一匹を思い出すたびに涙ぐんでしまう。
他の人がどう思おうと、それが私の猫に対する愛の作法です。

猫は裏切らず、その愛を確実に受け止めてくれます。最後の時に「本当にありがとう」と言っている彼らの声が聞こえます。

猫に教えられた100のこと。 (1)猫は甘やかして付き合いましよう。

(2)猫は甘やかして育てます。

犬は甘やかして育てるとバカになります。どうしようもない手のつけられない犬になってしまいます。

 しかし、猫は可愛がれば可愛がるほど賢くなる。これは本当です。猫も野放しだと気性の荒い、すぐ人を噛んだり引っ掻いたりする問題猫になります。だから、毎日必ず撫でてやりましょう。猫のゴロゴロを聞くのを習慣にしましょう。ゴロゴロは母親を思い出しているのです。

 アメリカやヨーロッパでは生後最低六ヶ月は、親から離して売買してはならないと言う厳しい法律があると聞きます。親猫は人間との付き合い方、猫同士の間の取り方、危険な動物とそうでないものの区別を子猫に教えます。

 それに何より子猫には母親の愛情そのものが不可欠なのです。これは人間と同じですが、その愛の深さは人間以上です。にも関わらず親離れ、子離れの見事さは人間がお手本にしたいくらいです。人間は二十歳過ぎた息子の犯罪の尻拭いを親がし、世間がそれを糾弾する。本当に猫に恥ずかしいですよね。

 猫の一生は人間よりずっと短い。飼い始めて、あっという間に別れの時がやってきます。だからせめて、せめて一緒にいる間は思い切り可愛がるのです。やり過ぎくらいがちょうどいい。短い一生を過剰に可愛がっても、決して心残りが少なくはなりませんが。

 でも、できる限りのことをしてやった(自己満足ですが)ことで後悔はしない。それしか死にゆく猫にしてやれることがないのが辛いのです。せめて生まれて来てよかった、この人に飼われてよかった、と最後の瞬間に思わせてやりたい。

 私はこれまで飼って来たどの猫にも、「ウミちゃん大好き!」と耳元で口癖のようにささやいてやりました。猫には確実にそれがわかります。私がいないと、恋人を探すように鳴いて家中を探します。

帰宅すると「どこ、どこへ行ってたの!」と文句を言うように喉ならします。

 そのあとは寝転んだ私の胸の上に寝て、ゴロゴロをしばらく続けます。私はすぐ目の前の猫を見ながら、いずれこいつとも別れの時が来るのだと思います。愛猫八匹の死を経験すると、そう考える習慣がついてしまうのです。本当に耐えられない瞬間を何度も経験しております。人間との死も猫の死も、私は愛するものの死と言うことで同次元で考えています。両親の死には涙を見せなかった私が、猫たちの死にはどうしても涙をこらえらえることが出来ない。

 今いる猫にできる限りの、本当に最大限の愛情を注いでやりましょう。私の飼っていた猫たちは、みんなそうした体験をして死んでいきました。一匹一匹を思い出すたびに涙ぐんでしまう。
他の人がどう思おうと、それが私の猫に対する愛の作法です。

猫は裏切らず、その愛を確実に受け止めてくれます。最後の時に「本当にありがとう」と言っている彼らの声が聞こえます。

 

 

人生を変える名作知友の名作映画百選

(1)「セッション」

コンセプト:これはジャズの映画ではない。音楽学校の新人ドラマーと天才を作ることを目的とする教師との狂気と葛藤、才能の凄まじい人間ドラマである。

 

ストーリー:一年生でドラマーのニーマンは教師フレッチァーに認められ彼の授業を受けるが、天才を作ることを目的とする彼の授業は熾烈を極めた。

 

恋人と別れ、家族から疎外され、友人たちも離れていったニーマンは昼夜を問わずドラムを叩く。手の皮は破れ血が吹き出しドラムもシンバルも血まみれとなる。それでもフレッチャーはOKを出さない。凡庸だが優しい父を自分同様卑しめたフレッチャーを許せず、ついにニーマンは彼にとびかかる

 

ニーマンは退学となり、ドラムを捨てた無為の日々を過ごす。街角のジャズクラブのポスターでフレッチャーの名を見かけ、彼は中へ入る。フレッチャーはピアノを弾いていた。客の陰から隠れるように見ていたニーマンは演奏が終わると逃げるようにクラブを出る。

 

だが、後を追って来たフィッチャーが声をかける。フィッチャーも学校をクビになり、今は超一流バンドの指揮者となっていた。今のバンドのドラムがよくないので、彼にやらないかと誘った。

 

家へ戻ったニーマンは物置から埃まみれのドラムセットを取り出す。当日、喜び勇んで彼は会場へ行った。会場は客で満席だった。バンドのメンバーは超一流ばかりである。だがドラムの前に座った彼は青ざめた。彼だけ譜面がないのだ。

 

舞台へ出て来たフィッチャーが彼にささやいた。「学校へ告げ口したのはお前だろう!」驚愕するニーマン。彼がこの超一流バンドへ誘ったのは、好意ではなく学校をクビになった ことへの復讐だったのか。

 

フィッチャー指揮で演奏が始まった。譜面のないニーマンは形だけドラムを叩くだけである。周囲の演奏者から小声で苛立ちの言葉が投げつけられる。「お前、何やってんだ!」「もっとまともにやれ!」ニヤリとそれを見ているフィッチャー。

 

一曲目が終わるとニーマンは逃げるように廊下へ出た。廊下には彼に内緒で演奏を見にきていた父がいた。客席で状況を察した父は、「家へ帰ろう」と彼を抱く。だが、その腕を振り払いニーマンは再び舞台へ向かう。

 

指揮台でチラリと彼を見るフィチャー。会場へ二曲目を告げようとしたその時、突如としてニーマンのドラム演奏が始まった。フィッチャーも演奏者たちも驚いて彼を見る。彼の叩く曲は「キャラバン」。彼がこれまで何百回、何千回と叩き続け、フィッチャーからOKが出なかった曲だ。

 

曲が終わり、指揮台のフィッチャーが演奏止めの合図を出す。だが、ニーマンだけのドラムは止まらない。ますます佳境へ入っていく。客席へ苦笑いしたフィッチーは、ニーマンへ近づいていう。「目玉をえぐってやるぞ!」

 

ドラムを叩きながら答えるニーマン。「合図を待て」彼のドラムがバンドをリードしていくというのだ。ニーマンの演奏は凄まじかった。彼のドラムが会場を圧倒し、すでに彼は学校時代の彼ではなかった。

 

その演奏に次第にフィッチャーの表情が変わる。あれほど音楽学校で苦闘して成し得なかった天才が、目の前にいることに気づいたのだ。彼は上機嫌でニーマンに指示を出した。超一流のバンドマンたちを圧倒して、天才に成長したニーマンがそこにいた。


アカデミー賞男優助演賞、編集賞、録音賞三部門受賞。
サンダンス映画祭W受賞(グランプリ&観客賞)。

 執筆後記
私はこれまで劇画原作、小説などで数百本の作品を書いて来ましが、この映画にはぶっ飛びました。私自身どうしてもかけなかったドラマとキャラが、縦横無尽に描かれていました。私にとって創作上のテキスト的作品でもあります。 

 

「猫多頭飼いの末路」

 

我が家は十八年間、九匹の猫たちと暮らして来ました。

敢えて飼っていたと言う言葉は使いません。

猫たちに食事をやって飲み水を取り替え、トイレ砂を新しくする。

 

食事以外はすべて妻の受け持ちです。

娘の九才の誕生日のプレゼントに雄のアメショーを一匹買ってやったのですが、それが全ての始まりでした。

 

娘に豹のような野性味あるアメショーの世話は所詮無理でした。

結局生まれてからそばに猫がいなかったことのない私が、面倒をみることになりました。

 

以来十八年、娘は結婚して家を出ましたので、名実ともに私と妻が猫たちをみることになりました。

私は雄の最年長のクーに太腿を噛まれ、救急車で病院へ行く大事件もありましたが、先月までに八匹が次々と亡くなり、最後に雌猫のウミだけが残りました。

 

十八年間に八匹亡くなってしまったわけです。

みんな中野の蓮華寺で火葬し、供養してもらいました。

一匹の猫の費用が五万円。もっと安いところもあるようです。

 

妻と二人で八匹を最後まで見届けました。

涙を流さなかった時は一度もありません。

私の子供であり親友であり恋人であり、かけがえのない八匹たちでしたから。

 

家中猫であふれていたあの頃が、今はたまらなく懐かしい。

残ったウミが、夜鳴きながら息子を探すのが涙を誘います。

 

先月、杉並区の獣医師会から、十七歳まで生きたタロとモモが表彰されました。

ペットの多頭飼いが問題になっている昨今、九匹も飼っている我が家もきっと注目されていたのでしょう。

 

今は残る一匹のウミを、九匹分可愛がっています。

十八才を超えた彼女とも、いずれ別れの時が来るでしょう。

生きとし生けるもの、会うが別れの始めです。

 

老猫ウミとの一分一秒を、大切に大切に過ごしています。

亡くなった八匹との数えきれない思い出と暮らす多頭飼いの哀しい末路です。