トマトサンド

私の大好物はトマトサンドです。

これはどこのレストランでも絶対に売っていません。

なぜならこのトマトサンドは、私のオリジナルサンドィッ

チだからです。

もう一年くらいの間、朝食は必ずこれです。

作り方はいたってシンプルで、焼いたトーストにからしマヨネーズをたっぷり塗ってハムを載せ、二枚のトーストの間に完熟トマトの薄切りを挟むだけです。

からしマヨネーズとハムとトマトのハーモニーが絶妙で、病みつきになります。

ただし、これはトマトが大好きな人でなければ勧められません。トマトを挟んだ分厚いサンドにかぶりつく時の至福の瞬間は、一度経験したら毎日、それも三食でも私は飽きません。どんなに親しい人にも、これは私だけの秘密で話してはいません。なぜここで明かすかと言いますと、同好の士がが増えてくれることを望むからです。

こんなまずいものが食えるか!と言う人もいるでしょう。

それはそれでいいのです。好みの問題ですから。

でも一人でも、私のように病みつきの人間が増えてくれたら嬉しいです。人生は楽しみが多いほど、豊かになりますから。

 

 

トマトサンド

私の大好物はトマトサンドです。

これはどこのレストランでも絶対に売っていません。

なぜならこのトマトサンドは、私のオリジナルサンドィッ

チだからです。

もう一年くらいの間、朝食は必ずこれです。

作り方はいたってシンプルで、焼いたトーストにからしマヨネーズをたっぷり塗ってハムを載せ、二枚のトーストの間に完熟トマトの薄切りを挟むだけです。

からしマヨネーズとハムとトマトのハーモニーが絶妙で、病みつきになります。

ただし、これはトマトが大好きな人でなければ勧められません。トマトを挟んだ分厚いサンドにかぶりつく時の至福の瞬間は、一度経験したら毎日、それも三食でも私は飽きません。どんなに親しい人にも、これは私だけの秘密で話してはいません。なぜここで明かすかと言いますと、同好の士がが増えてくれることを望むからです。

こんなまずいものが食えるか!と言う人もいるでしょう。

それはそれでいいのです。好みの問題ですから。

でも一人でも、私のように病みつきの人間が増えてくれたら嬉しいです。人生は楽しみが多いほど、豊かになりますから。

 

 

快適な事しかしない。

初めまして。

これまでブログに小説などを書いていましたが、フィクションに飽きてしまい、ノンフィクション(自分の思いの事実)を書いてみようと思いました。

例えば私は毎日スタバへMACを持ち込んで文章を書いていますが、知らない他人さんと同じテーブルに二時間も三時間も一緒にいると、ふと奇妙君な気分に襲われます。

図書館でも学校でも、もちろん家でもない空間で知らない人たちと同じテーブルで違う作業をしていることが、物凄く不思議なことに思えることがあります。

そうした気分に気がつく瞬間があるのです。

私はそれらの人たちに決して声はかけませんし、かけられても最小限の会話しかしません。煩わしいのでも面倒なのでもありません。そこはそうして空間だからです。

変に知り合いになろうとする人に会うと、困惑するしはっきり言って迷惑です。

あるカフェで偶然隣り合った関係はそれだけのものであり、変な付き合いに発展するのはルール違反です。交流はせいぜい目線で交わす程度、言葉は交わしません。だから、お店のスタッフは全員顔なじみで話もしますが、お客さん(:ゲスト)とは話しません。

でもそうしたカフェには色々な人々がいます。明らかに人妻と思える中年の女性が中高生らしき若い男の子と待ち合わせの場所にしていたり、老人の男性が中年の女性と抱き合っていたり(信じられます!スタバでですよ!!)私は他人のことに関心がないので、MACに集中して気がつかないふりをしていますが、スタバってこんな使い方もあるんだ!と内心感心しています。

彼らは知らないと思っていますが、スタッフはモニターで全て見ております。

スタバは私にとって文章を書く場所。だから他のことは何もしません。スタッフにはそれに好感を持ってくれているようです。

私にとってスタバは快適で大切な場所です。文章を書く以外のことをすると、きっと快適な場所ではなくなってしまう気がします。それ以外のことでも、私の一日は快適さを大切に大切にしています。

 

 

 

 

 

快適な事しかしない。

初めまして。

これまでブログに小説などを書いていましたが、フィクションに飽きてしまい、ノンフィクション(自分の思いの事実)を書いてみようと思いました。

例えば私は毎日スタバへMACを持ち込んで文章を書いていますが、知らない他人さんと同じテーブルに二時間も三時間も一緒にいると、ふと奇妙君な気分に襲われます。

図書館でも学校でも、もちろん家でもない空間で知らない人たちと同じテーブルで違う作業をしていることが、物凄く不思議なことに思えることがあります。

そうした気分に気がつく瞬間があるのです。

私はそれらの人たちに決して声はかけませんし、かけられても最小限の会話しかしません。煩わしいのでも面倒なのでもありません。そこはそうして空間だからです。

変に知り合いになろうとする人に会うと、困惑するしはっきり言って迷惑です。

あるカフェで偶然隣り合った関係はそれだけのものであり、変な付き合いに発展するのはルール違反です。交流はせいぜい目線で交わす程度、言葉は交わしません。だから、お店のスタッフは全員顔なじみで話もしますが、お客さん(:ゲスト)とは話しません。

でもそうしたカフェには色々な人々がいます。明らかに人妻と思える中年の女性が中高生らしき若い男の子と待ち合わせの場所にしていたり、老人の男性が中年の女性と抱き合っていたり(信じられます!スタバでですよ!!)私は他人のことに関心がないので、MACに集中して気がつかないふりをしていますが、スタバってこんな使い方もあるんだ!と内心感心しています。

彼らは知らないと思っていますが、スタッフはモニターで全て見ております。

スタバは私にとって文章を書く場所。だから他のことは何もしません。スタッフにはそれに好感を持ってくれているようです。

私にとってスタバは快適で大切な場所です。文章を書く以外のことをすると、きっと快適な場所ではなくなってしまう気がします。それ以外のことでも、私の一日は快適さを大切に大切にしています。